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ほっつき横丁.com/東日本大地震

3/12 避難生活

夜中2:30目覚めた 石油コンビナートは未だ赤く燃えている
夜空は満天の星空 山深くじゃないと見れない星群だ
灯りがないのだから当然だろう
会社社長からメールが入った 19:50に送ったソフトバンクのメールの返信が
8時間後の3:50に届いた
やっと水分を口にする気になった
消防車が現れた 記者らしい人も着いてきて状況写真を撮っている
しかし 何も出来ず帰るしかない様だ
ずっと車のテレビはつけっ放しだか
夜間だけあって状況が何も変わらない内容
3:59 新潟群馬長野で6強の地震発生
ここでは揺れは3ぐらいしか感じないが 緊急地震速報はタイムリーに鳴っている
朝6:00 明るくなってきた
水溜りを歩いてる人がいたので 家までアタックしてみるか
ヘルメットをかぶりスラックスまくりあげて
足元は危険だから 革靴はしょうがないからそのまま履いて行くしかない
しかし 油の浮いた水溜りは冷たく10秒と入っていられない
別のコースを探して見るとビールケースが流れ着いていたので
2つを交互に少しずつ前進 やっとの思いで家にたどり着いた
缶ビールが入っていたと思われるコンテナがあちらこちらに流れ着いているし
車も異常な位置にある
自宅の車はご丁寧にビールケースの上に飾られた様に浮いている
誰かタイヤを持って行こうとしてたのか?
家の玄関にはサンタクロースの送り物だろうか缶ビールが山積み
近所や裏の会社まで山盛り積みだ
土足のままなんとか掻き分けて家に入ると悲惨な状態が待っていた…
階段で言うと3段目まで水がかぶっていた 水と言うより泥水だ
勢いもあっただろう 床下基礎からの侵入で畳が持ち上がり家の1階を全部飲み込んだ
両親の衣服類や食料は全滅 冷蔵庫も早くも異臭か?
誰もが気にする大画面薄型テレビは生きている
2階は物が動いて散乱してるだけで問題ない
津波警報が解除されたらとりあえず2階で生活は出来そうだ
キャンプ家族なのである程度道具は揃っている
シェラフやバーナーガスや身の回り品を揃えて
ザック一つしょい中学生の子供が1人入る位の
でかいバック2つに胴長を履いて脱出だ
校庭に駐車してある避難者の車 約80台はあろうか 残念である
家族が避難している中学校 行くと1教室に町内ごとに引き締めあっていた
座っている人立っている人
教室の床にブルーシート1枚の上にみんないた
暖は無くちゃんと寝れたのか聞くと座った状態でほとんど寝れてない
トイレは流せずそのまま使用しているので不衛生で廊下まで臭いが漂う
早朝 誰かが市民センターまで冠水した道路を歩いて備蓄を取りに行ったらしく
カンパンなどと水の配給あったとの事
始めて食べ物(クラッカー2枚)を口に出来た
かみさんが家族を心配し家に一旦戻ったが
中学校に避難したと近所の人に言われ向かった
車で中学校に着いた時に津波が到達し追われる形で
間一髪だった話しを聞きゾッとした
ラジオを流していたのにも関わらず津波の情報は一切耳に入らない位
気が動転していたのだろう
いろんな町内知人に会いホッともした
中には新築を建てて3ヶ月目で丸ごと流された同級生もいた
一度身の回り品が揃うとアレもこれもと必要なモノは増えるもの…
かみさんを引き連れてもう一度家に行く事になった
やはり着替えはなくとも下着は欲しいもの
生理品や災害リュックお菓子やタオルを詰め込む
中学校に戻ってきた 体育館には赤と白の垂れ幕とパイプいすが並べてある
くしくも今日は卒業式 娘の晴れ舞台が泥だらけで台無しだ
食料の配給があった様だ
全てが菓子類で ご近所ごとに違う商品を貰い分け合って少しずつ頂く
あても無くずっと立っていて暇だったし 災害本部へ行った
教職員と各町内方で災害本部が運営されている
人探しの名簿チェックの手伝いをした
次から次へと来るもので 居たと喜ぶ人から
被害の大きかった蒲生の人が名簿リストになくてガッカリする人など様々
受け入れる施設は色々あるので他を探しに行くしかない 
蒲生の洗いざらい家を流された地区の中学校に避難した方々は 
自衛隊のヘリで霞の目飛行場へ搬送され
安全な施設へ移ったらしい 
そんな中 津波の来ていない小学校に移動希望者を募り始めた
仙台市バス2台で輸送するとの内容だ 
一度目の津波は車が屋根まで水没する位だったが 次はどうなるか分からない
家族会議で最悪を考えマイカーで移動する事に決めた
単身や家族が揃ってない町内の顔なじみをよそに 目を合わす事が出来ず教室を出る
あちらこちらで地割れや隆起もあり 信号もほとんどついてないのでゆっくり移動
途中のコンビニで購入の列があったが配給があるだろうと通り過ぎる
今度の避難先小学校は新しく体育館に既に避難者がたくさんいた
本部に聞くと空いている所どこでもいいと言う事で6人分取れそうな場所を確保する
何故空いていたのか後から気が付いた
バスケットボールの宙づりの鉄骨パネルが頭上にあったのだ 怖っ
災害物資が運び込まれているのを見つけたので手伝いをした
近くの生協物流からいくらでも持っていって下さいとの好意に預かり
何回も往復しているのだという 
お菓子 カップ麺 飲料品 さまざまな物が大量だった
長女が言う コンビニに買い物に行かないの?
聞き流したものの買えるかどうか分からないが試しに歩いてセブンイレブンへ足を運んだ
50人位の列があり最後尾となった時に店長が現れ
キリがないのであなたで終わりにしますので次の人からはお断りして下さいと言われた…
ババクジを引いちゃったって周りから聞こえる 
その通りだ…  みんな食料を求めている
店員のバイトの女の子も遅くなると危ないから…とも
納得いく話だ
私の次に並ばれた人はおばぁさん やっぱり言えない…
そのおばぁさんを知っている方が自分の代わりに言って下さった
もっと言いずらかっただろうに… 
大分たってから店長が張り紙を持って来てくれた
しかし持っていたってダメだから
しっかりそれからは今並んでいる人以上の人数ににお断りすることになる
最後の自分の番が来たが、おにぎりやパン お菓子すらなくなっていた 
お茶とゼリーとヨーグルトを買うと店長が家族分のプレミアムロールケーキを持って来て
最後尾の番ありがとうございましたと有り難く頂きました
帰ってくださった皆さんすいませんでした 
明日開店は8:00だそうです 
小学校に戻ると晩ご飯配給の時間で
水を入れて出来るお粥とバナナでした
水は2人で1本配給でお粥が作れるみたい 
40〜50分待たないとお粥が完成せず家族団らんが続きます
塩っけのないお粥は進みません 
何とかサバの水煮缶詰一つを六人で分けて頂きました
買ってきたヨーグルトかゼリーと少しのお菓子で何とか空腹はなくなったのです
ここはトイレの目の前
プールの水をポンプで汲み上げて運ぶのを手伝い その水を使って用をたします
場所の割に臭いはそんなに酷くはないのですが 
夜になると寒い風が入って周りの人も辛そう 
体育館の入り口もほとんど閉めてくれる人もなく 
トイレのドア前に立って管理することにした 
余り成果がない為に周りの方々と空いた所に移動する
何故こんな時に空き場所が出たのか聞くと 
JRの旅行者が流れて来てたのがバスの手配が整ったためらしい
ジェットヒーター4台も稼動し屋根の高い体育館でありながら
日中の様に過ごす事が出来た 
小学校の先生や宮城野区職員数名の方々の働きで  
津波の来ていない安心出来る環境で休む事が有り難く感じました 
照明は灯油の発電機で2灯で十分 
トイレはロウソクでした
皆お疲れで20:00には休む方々が多く 一緒に就寝することにした
今日はシェラフでしっかり横になり寝れるので少しは楽だろう 
起きている内から地震は何度も感じ 
体育館の照明灯の揺れを気にしながら寝ます 

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